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  in  イラン
     
        消えた街「バム」その後・・・
 
          
 
 
 
 
イラン東部のバムという街に、以前はイランで一番の見所だとも絶賛された「アルゲ・バム」という有名な遺跡(廃墟)があった。

巨大な城壁で囲まれた城と城下町はその多くが16世紀〜17世紀のサファヴィー朝の時代に建てられた。しかし1722年のアフガン軍侵攻により人々は町を放棄。その後人々は城下町に戻ることなく新しいオアシスに移り住み、アルゲ・バムは廃墟となってしまった。
歴史的にはほとんど無名の城下町だが、泥で出来た巨大な廃墟は多くの旅行者を魅了し、どのガイドブックを見ても「イランベスト3」に入るほど人気の観光地だった。


しかし2003年12月26日、ちょうど日本ではクリスマスの余韻が醒めた頃、市民が寝静まる午前5時30分にこの街をM6.3の直下型大地震が襲い、街は遺跡もろとも粉々に破壊されてしまった。元々日干しレンガで造られた家々はことごとく崩れ、新市街で60%・旧市街の街はその90%が倒壊。10万人の人々が住んでいたバムとその周辺10kmで実に4万人を超える死者を出す大惨事になった。
当時私はニュースで「イランで街と遺跡が消えてしまった」という報道を耳にしたのを覚えている。

その半年後にバム遺跡は「危機遺産」として世界遺産に緊急登録され修復作業が始められたが、元々泥と土壁で作られていた遺跡は勿論原型がわからないほど粉々に崩れており再建には途方も無い年月がかかるとのことだった。

旅行者は口々に「バムは終わった」と結論付けた。


それから2年後。
いったい遺跡はどうなっているのだろうと想像を膨らませながらパキスタン国境から約400km土の荒野を進んだバムの街に到着。

幹線道路沿いのアルグ広場でバスを降りる。本来はバスターミナルがあるはずだが、そこは地震で全壊してしまったため、コンテナを店舗代わりにしたバス会社が並んでいた。2年たってもまだ状況が良くなっていないようだ。

そのまま有名な安宿「アクバルツーリストイン」というゲストハウスへ行く。そこも勿論地震で旧建物は全壊してしまい、地震後1年間は何とテントでGH営業をしていたという強者オーナー「アクバルさん」が経営している安宿だ。今年の夏(4ヶ月前)からはプレハブを建て営業をしている。

彼はとても63歳に見えない元気でマッチョな男性で、昔イランのボクシングチャンピオンだったらしい。そこの夕飯を食べるときにはいつも「これを喰えば明日の朝には俺みたいにマッチョになれるゼ!」を言いながら筋肉ポーズをする気さくなおっちゃんだ。

プレハブの横には地震で壊れた建物の残骸がそのまま残っているのだが、感じたそのままの感想を言うと、「見事なまでの崩れ方」である。アクバルさん自身も生きていたのがラッキーだと言っていたが、その言葉にものすごい重みを感じた。


翌日は朝から旧市街とアルゲ・バム遺跡を観光。

町には貨物用コンテナを店舗代わりにした商店が並んでいた。その後ろには崩れっぱなしの建物が残骸として生々しく残っているところが多い。再建しようにも持ち主を失った建物が多いのだろう。崩れかけた壁にスプレーで大きく文字が書かれている。私はペルシャ語を読むことができないが、生き残った被災者のご家族が連絡手段として書いたのだろうか。

道端には2年前からそのまま放置された車が未だに多数路上駐車されていた。その殆どがエンジンなどのパーツを取られ、ボディだけが残されてる。廃車同然の外観とは対極的に、運転席には毎日使用していた事がうかがえる装飾品がそのまま残っており、座布団などの上には2年分の砂埃が積もっていた。

町の復興はまだ2・3割といったところだろうか。ようやくテント生活からプレハブになったレベルで、まだサラ地状態の空き地が目立つ。アルゲバムまでは宿から約2.5kmあるが、中心街を歩いたにもかかわらずそれほど沢山の人とはすれ違わなかった。


町の北端にあるアルゲバムに到着。
巨大な遺跡を囲む城壁は何とか形を保っているが、入り口になる南門は完全に崩れており、門の跡は壁が崩れないように補強されている。

以前は高かった入場料も今は要らず無料、遺跡を観るというよりは、工事現場を見にいくという感じ。

遺跡内は真ん中のメインストリートのみ一般人が通れるように道が作られており、遺跡のメインになる城部分の手前まで見学が可能。
黄色いパイプで遮断された通路の外は文字通り一面瓦礫の山。一応地震前の遺跡見取り図を持っていて、それには居住区・バザール・兵舎などの位置が記されていたのだが、何処がどこだかさっぱりわからない状態だった。
一応住居地区跡・・・

復旧工事は進んでいるのだろうが、パッと見30人くらいの作業員が手作業で工事をしていた。その数は巨大な敷地を整備するには余りにも少なく、このペースだと100年位かかってしまいそうな勢いだが何とかがんばって欲しいものだ。

しかしここまで完全に崩れてしまうと「復旧」ではなく「新築」のような気さえしてくる。本当にご苦労様である。
以前の遺跡が⇒ ガレキの山に・・・

見所だった立派な城部分も建築以前の岩山に戻ってしまっていた。かろうじて、かつて城があったように見える程度。
数十年して再びここを訪れたときに何処まで修復がされているか楽しみだ。
これからイランに行く方々には是非バムを訪れて、多少でも街が観光で潤うよう協力していただきたい。

かろうじて残った天井の一部

 
2005年12月13日