TOP > 世界旅行記目次 > 旅行記31 ペシャワール
   
  in  パキスタン
     
        裏ペシャワール・ババジイツアー
 
          
 
 
 
 
私が勝手に行った独断と偏見のリサーチによると、バックパッカーがあげるパキスタンの3大観光は、@フンザAモエンジョダロBババジイという意見が多い。@フンザは前回の旅行記で紹介済み、Aのモエンジョダロはインダス文明で有名な世界遺産の遺跡、そしてその次にくるのが何とアフガン国境に近い街ペシャワールに住むひとりの爺さんなのである!

彼は通称ババジイと呼ばれる63歳の謎多き爺さんで、昔から外国人旅行者を通常のツアーでは絶対に行けない裏ツアーに連れて行ってくれる名物不良爺さんなのである。彼の存在は旅行前からどこぞのWEB旅行記で見たことがあったので知っていたのだが、パキスタン入国時に出会った旅行者の情報で「ババジイが病気になり最近はツアーを休みがち!」と聞き、危うしと思っていたがとりあえずペシャワールへ向かった。

ペシャワールへ着くと情報ノートのある「NEW MEHRAN HOTEL」へチェックインをしようとしたが、ここでトラブル発生。
宿曰く「お前のビザではココ(新市街)に泊まれない。」
「何で〜?」といい自分のビザをよくよく見ると、右隅に「VISA NOT VAILD FOR CANTT AREA(新市街は適応外だよ)」というスタンプが押してあった。

「何じゃそりゃ〜!!」

意味がわからん!軍事施設ならともかく新市街が適応外なら何処を観光せいっちゅんじゃい!
とにかくよくわからないがビザ上の理由でホテルを放り出されトボトボと新市街を歩く。線路の向こうの旧市街に行けばいいのだが、ババジイは新市街にいるし、旧市街は治安が悪い(ペシャワールはアフガン難民が流れてきていて治安が良くない)ので途方に暮れていたが、周辺で一軒泊めてくれるホテルがあったので速攻チェックイン!

翌朝、MEHRANHOTELで情報ノートを見せてもらい、ババジイがいつも出没する場所を確認。ホテルから近くのサダルロードにある小さなモスクに朝方居るという。すでに9時を回っていたので早速出没地帯へ行ってみる。

ババジイといっても顔がわからないし、サイババならともかく現地人に「ババジイ居る?」って聞いて果たして通じるかどうか心配をしながらモスクへ到着。すると道の向こうから腰を曲げながら近づいて来る爺さんがいた。



「I’m ババジイ」
髭とメガネと帽子、それに腰を曲げ手を後ろで組んでいるのがババジイ。特徴ありすぎ!

どっかで聞いた事あるパターンだ。パキスタンの爺さんはみんな真っ先に名を名乗る習慣があるのか?と疑問に思いながらも、気付くとババジイにチャイをおごって貰っていた。明日ツアーに行くことを約束し話が盛り上がったが、健康のことを聞くと「だいぶ悪い。来年はもう生きていないかもしれない・・・」と弱気な発言もみせた。ここ数日は体調が良いみたいなのでツアーは問題ないらしい。
ツアーの内容を聞くと、アフガンマーケット・アフガン難民キャンプ・格安電気製品街・ハシシ工場・銃工場・デコトラ塗装工場と盛り沢山の一日観光!こんな刺激的なツアーは今までに見たことがない。明日は特別な一日になりそうだ。


翌日11:00にツアーを出発、本日のお客は3人。まずは現地を走るギンギラバスに乗ってアフガンマーケットへ。
食料品・衣類をはじめ様々な店が並んでいる。勿論ココにいる人はみんなアフガン人。
ここではアフガン女性独特の青い衣装(ブルカ)を着た人が目立つ。
ショールやシャワールカミース(パキ・アフガン男性の人民服みたいなもの)や民族音楽の店に行く度、「これいるか?要らないのか?じゃあ次行こう。」と次から次へ店案内をするババジイ。少しせっかちらしい。
通りすがりの商店でアフガンでは使用できなくなったタリバン政権時代のお札をプレゼントしてくれた。

次にアフガン難民キャンプへ行く。キャンプといっても年月が経っておりみんな土壁の家を作り生活をしているので正確にはアフガン人集落といった感じだ。ここでは子ども達が人々が捨てたゴミからペットボトルを拾い集め、1kg1ルピーで業者に売りながらながら生活をしている様子などを垣間見た。ほとんどの子どもが戦争孤児だという。


さらに国境方面にバスで行き、いよいよトライバルエリアへ。ここでは色々なものが裏から流通している。初めに行ったのはいかにも怪しい店。表向きはハシシ屋さんらしい(表向きで売るな!)が、ここでは他にも散弾銃やペン型の銃(1,000ルピー)、さらには米ドルのニセ札も売られていた。ニセ札の方は手触りが違いすぎてバレバレだけどね。
ペン型の銃。見た目は普通のボールペンみたいだ。

次にハシシ板製造工場に行く。ここではハシシを蚊取り線香のように丸く延ばして出荷用(どこにだ!)のビニールに梱包していた。全くとんでもない場所だ。写真を撮ろうとすると「ダメだ!」と言われたが、ババジイが店員に20ルピー札を渡すと普通に撮らせてくれた。全くげんきんな場所だ。ババジイはちゃっかり自分の分を少し買って、腕時計の裏にペタッと貼り付けていた。
蚊取線香では決して無い!ハシシです。

その横には何故か激安電化製品街があった。ここは税金がかからないらしい。まぁ裏ルートの流出品だろうから掛からなくて当然だが。
意外にもデジカメなどは新しい製品もあり、メモリーカードなども安かった。256MBのSDカード(PANAS●NIC社製)が40ドル前後だったので日本の激安店並だろうか。海外にしてはかなり安いだろう。しかし例によって「要るか?要らないか?じゃあ次に行こう」と言われロクに製品を見ないままババジイに連行される私達。やっぱりセッカチ。

そこからはタクシーで移動。20分くらい走った住宅街の中にひっそりと銃工場(製造直売?)があった。中に入ると薄暗いフロアにプレス用の工作機械が並び、それを囲むように作業員が黙々と拳銃を作っていた。しかしババジイは「お祈りの時間だから勝手に見てきてくれ。」と行って外へ行ってしまう。我々は異国の薄暗い銃製造工場に放り出されてしまった。言葉が全く通じず、こちらに興味も示さず寡黙に作業をする彼らが無性に悪者に見えてくるのは何故だろう。工場内に気まずい雰囲気が立ち込める・・・「ツアーが一人じゃなくてまだよかった。」と感じた。
無造作に積み上げられている部品。
しかし、暫くして作業が一段落すると片言の英語で会話をする人が現れ、写真を撮ったりと和やかな雰囲気になる。ババジイのお祈りがおわり、出来たてホヤホヤの銃の試し撃ちが出来た。1発100ルピー(200円)。上の写真に写っている拳銃と、ショットガンを1発ずつ撃つことにした。外に出て小さなブロックをターゲットにする。観光客はみんなターゲットに当たらないらしく、ババジイが「命中したらペプシおごってあげる」と言うのでみんな張りきる。まぁ張り切って当たるものでもないけどね。
「シャワールカミースとショットガンと私」昔こんな響きの歌があったような・・・
銃は海外で何度か撃った経験があるが、台などで固定せずショットガンを撃つのは初めて。気分は「あぶない刑事」の舘ヒロシだ。(ちょいネタ古・・)
防音の耳当てが無いので撃つと「ドォガァーン!」という音が耳に響き、暫く「キーーーン」をいう音が私の聴覚を支配した。しかしそれと同時にターゲットのブロックが後方に倒れ、工場のおっちゃんが「HIT!」と言った。見事にペプシをゲット。

最後に寄ったのはパキスタン名物「デコトラ」(派手派手ギンギラトラック)の塗装・装飾工場地帯。大通りから小さな路地に入ると何台ものトラックが並び塗装作業が行われていた。当然だがすべてが手作業で行われている。目の前にあるのは「日野製」の新車だったが、運転席のガラス部分を除いて原型を留めておらず、全ての部分に装飾が施されていた。
絵は手書きで職人芸、ほとんど芸術の域ですな。しかし絵の内容が・・・白い大きな犬と小太りな少年、しかも何故かスーパーマンマークのTシャツを着ているではないか!これも客の注文なのだろうか?

終わってみるとあっという間にツアー終了。概して面白いことほど時間が経つのが早いものだ。バスで新市街まで戻りババジイと記念撮影をする。恐らく自分が旅行会社時代に企画したどのツアーよりも刺激的だっただろう。日本で企画したら間違いなくクビだけど。

どんな経緯でこのツアーを始めたか知らないが、健康に留意してこれからも観光客を楽しませて欲しい。ババジイ、ハシシやりすぎるなよ!!

右手に落花生、左手の腕時計文字盤裏にハシシを忍ばせババジイは帰宅していった。


 
2005年12月7日