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         大草原でゲルステイ  
          
 
 
 
 
寄り道してモンゴルに来たのは、夢だった事のひとつ現地の遊牧民住居『ゲル』に宿泊するのが目的。

最近相撲関係者の活躍と松崎しげるの落馬事故で有名なモンゴルの国土は日本の4倍、人口密度は日本の200分の1、世界一の過疎国家だ。

期待を胸に入国、辺り一面緑の大草原と夜は星で埋め尽くされた夜空をイメージしていたが、到着した首都ウランバートルは意外にも都会で草は土色、空は曇り空、夕方の気温は摂氏10度!

まだ冬じゃん・・・もう6月なのに。

夜には雨が降ってきた。寒いのは仕方ないが、草原のゲルに泊まってずっと雨では意味が無いのでネット屋に行って天気を調べる。
4日後から天気が回復するらしいので、「yahoo!天気」を信じて待つことに。

実際には3日後から晴れたが、ツアーをシェアする仲間が見つかったので予定通り翌日出発。車をシェアすると$11安くなるのだ。
今回シェアするのは「歯がキレイなS君22才」、三ヶ国語を話すナイスガイでスペインと日本のハーフだ。

翌日の朝出発し、まずは3日分の食料を買出しに地元のザハ(市場)へ行く。
市場というので露天が集まった所かと思ったが、意外にも巨大なドーム型の建物で覆われていた。
冬はマイナス30度まで下がるという厳しい気候対策だろう。後で分かったが、砂嵐対策でもあるようだ。

ウランバートルの中心から15分も走ると辺りの景色は鉄筋の建物から、ゲル住宅の密集地に変わる。
モンゴルでは草原まで行かなくても市内で普通にゲルを見ることが出来るのだ。モンゴル人はコンクリートより大地に接したゲルが好きらしい。遊牧生活をしていた民族がゲルのまま市内に移住してきたりもするし、ゲル生活が一番安上がりという事もあるのだろうか。

さらに10分走ると建物は道路沿いのみになりその向こう側は砂地が続く。
静岡の浜松市内から一気に中田島砂丘の中に入ったような感じだ。表現が分からない方、ローカルでスイマセン。

市内から40kmだが運転手のニーチャンが時速100km近くで幹線道路(舗装してあるがボコボコ)を飛ばすのであっという間だろう、と思っていると幹線から外れ土の未舗装道路へ。凸凹道でスピードは一気に落ち、時速は30kmになった。

ガタガタ道の丘をドンドン越えると、丘に囲まれた大きな草原に入った。

「来たーー。ここだよ、ここ!」

以前からイメージしていた大草原だ。気分が高揚する。

草原の真ん中にポツンと二つのゲルが見えた。車は轍をそれて草むらの上を走り出しゲルへ向かい始めた。
どうやらあのゲルのようだ。

車が近づくとエンジン音に気付いたのか人が出てきた。民族衣装を着た女性だ。

車を降りて「サンバノー(こんにちは)」と挨拶をし、ゲルの中へ入る。
中には男性と女の子が二人ベッドに座っていた。女の子は恥ずかしがっているのか、ニコニコしながらこちらをジーっと見ている。
品定めをされているようだ。

この家族はかれこれ5・6年くらい旅行者を受け入れているらしく、子供たちは片言の日本語を話すと聞いていたが、お邪魔して20分経ってもまだ喋らない。人見知りをしているようだ。

お父さんはドライバーと携帯電話を持って何やら話している。電話が欲しいのか?しかしこの草原で電波が届くのかなー?
お母さんがいつの間にか「ツォイワン」という焼きうどんのようなものを作ってくれた。ウマい!

「食べろ」というゼスチャーをされた後、ほぼ日本人同士でのヒソヒソ話が続く。なんせ言葉が通じない。ドライバーも英語はほとんどダメ。

食事を終え、ドライバーが帰っていった。

仕切りなおしだ。
指差し会話帳を見ながら自己紹介をするが、全く通じなかったようで子供がその部分をチェックする。
家族もそれぞれ自己紹介をしてくれた。

父:モンホワット 35歳 
母:アムラー   33歳
姉:ニムカ     9歳
妹:ダワッスル  7歳

恐らく本当の発音は違うと思うが、私にはそう聞こえたのでこれで紹介をする。父母は見た目よりそれぞれ10歳位歳を取って見えるが恐らく厳しい自然環境のせいだろう。

昼飯後は子供たちと草原で遊ぶ。 バレーボールのような事をやるが風が強くボールがあさっての方向へ飛んでいってしまう。
どうやら日本の遊びも知っているらしく、「ダルマさんがころんだ」らしき遊びをするが若干ルールが違う。気にせず遊ぶ。

かなり元気な子供たちで2時間遊びっぱなし状態、疲れてゲルに帰るとお父さんが「寝る」というゼスチャーをする。
昼寝の時間らしい。
そんな着いた早々寝れるわけないじゃん!と思っていたが、気付くと2時間が過ぎていた。

ゲル、結構寝心地◎。

夕方になり、(といっても夏季の日の入り時間は夜22:00過ぎなので昼間同然だが)馬に乗ることにした。
今まで馬に乗った経験は、北海道のノーザンホースパークで3分間(先導付きで馬場1周のみ)。
全く初心者だ。

自分で乗った感じは、「馬って上から見ると首細いなー」が第一印象。初めは女の子が先導してくれるが5分乗ると内腿が痛くなってきた。
それでも数十分気持ちよく乗っていると、ゲルからアムラーが出てきて子供に何か言っている。

私を馬から降ろすと、家の中に入れと言う。私が「何?」と首を傾げると、日本語で「ミル!」と言い西の方角を指した。

草原の向こうを見ると少し緑がかった草の色があるラインから茶色になっている。しばらくすると風が強くなってきた。

「砂嵐?」

そうしている内に、風の中に砂が混じってきた始めた。1kmくらい先に砂の帯状になっているのが分かる。
慌ててゲルに入ると砂嵐がやって来た。

ゴォォォ−−−−という音と共にゲルが揺れる。お父さんはゲルの柱を支える綱を引っ張って固定している。

そこでやっと現実が理解できた。雨の少なさ&夏でこの寒さ&砂嵐が起こる気候じゃ必然的に草原しか出来ないのか。

私はとんでもない勘違いをしていた。
モンゴルの人々は辺り一面の草原に寝転がりボーっとキレイな星空を見ながらノンビリした遊牧生活をしていると思っていたのだ。

しかし現実は厳しかった。
冬はマイナス30度のなか家畜が死なないように守り抜き、たった2ヶ月間の夏季は昼間こそ摂氏20度位まで上がるものの風が強い為体感温度はそれほど高く感じない。ましてや夜はかなりの冷え込みだ。
しかも星を見ようと寝転ぼうモノなら、たちまち服には馬や山羊の糞がもれなく付いてくる。

そう、草原(特にゲルの周囲200m)は家畜(&家族)の排泄物で一杯だったのだ!

以前モンゴルに行った人の話で、モンゴル遊牧民にトイレは?と尋ねたら、指で地面に線を引かれ、「ここから向こう!」と言われたなどというちょっとした笑い話があったが、まさにその通りだった。ラインは引かれなかったけど。

ただ、経験者の話だと草原トイレは結構気持ちよく癖になるらしい。

どんな感じか分かりづらい方の為に、イメージ写真を撮ってみた。
こんな感じ。

ちょっと拡大すると、
こんな感じ。
※あくまでイメージなので実際に「ブツ」は出ていません、アシカラズ。お粗末さまでした。

夜9時を過ぎると、放牧している牛・山羊・羊が戻ってきた。
人も犬も誰も先導していない、まさに放牧である。よく戻って来るものだ。

関心をしているとアムラーが牛の乳絞りを始めた。
囲っていた仔牛を離し、親の乳を吸わせる。乳が出やすくなった所で仔牛を親牛から離し(結構強引に)その隙に乳を搾る。

私も手伝い、乳を吸おうとモー抗議?する仔牛の角を掴んで必死に食い止める。それまでモー烈に乳を吸っていた仔牛の口からは、ヨダレと乳が混ざった白いモノが風に煽られて50cmくらいぶら下がっている。
この瞬間を写真に収めたかったが、それどころではなかった・・・

同じような作戦で、夜間に山羊・羊の子どもを囲いに入れ翌朝その乳を搾取するみたいだ。(真相は明らかではないが・・多分)

山羊・羊用の囲いは二重構造になっていて、囲いの中にまた囲いがある感じだ。
初めに50頭前後の山羊・羊を全て大きい囲いの中に入れる。それから子ども以外を外に出す。

出し方は簡単。囲いの出入口を開け、後方から脅かす!
臆病な山羊・羊は出口から出ようとする。
出口にはアムラーが立っていて手には棒を持っている。
大人の山羊・羊はそのまま外に出て行くが、子どもが出て行こうとするとアムラーが棒で子どもを叩き囲いの奥に戻す。

その繰り返し。

出口はアムラーが半分塞いでいる為、せいぜい一匹ずつしか出られない。出口は大混乱である。
通常は親子一緒に行動するのだが、山羊たちはもう大パニックなのでそれどころではない。

傍から見ていると、まさに「羊が一匹、羊が二匹」の世界である。どんどん囲いから羊が出て行く。

本当にあったんだ、この世界。

これから寝つきが悪い時には具体的に想像が出来そうだ。

20分くらいすると作業は終了。子どもは小さい囲いに押し込められ、大人は囲いの外だ。

11時になり辺りも暗くなる。沢山の星が見えるかと思ったが、あいにく雲が多く少量の星しか見えなかった。
なかなか上手くはいかないものだ。

雲の動きが早いので1時間くらいしたら見えるかもしれないと思い横になったら、気付くと朝だった・・・・・

朝8時起床(快眠)。

パンに出来たてのバターを塗った朝食を摂り、山羊・羊の乳を搾る。
大人を囲いの中に入れ、子どもと離した状態で搾取。

アムラーが「その羊!」と指示をすると、我々は囲いの中で山羊と追いかけっこだ。羊の毛をむしりながら捕まえてアムラーに献上する。
これがナカナカおもしろい。
次第に山羊達の逃げパターンが読めるようになり、どんどん捕まえれるようになる。

30分で搾取終了。
ゲルに帰って休もうとするが、入る瞬間とんでもない事に気付く。

靴底に山羊の糞と羊の毛が絡まって1cm以上の新しい靴底を形成していたのだ・・・

近くで拾った釘で取り払うと、お好み焼きのような形をした糞の塊が取れた。
結局10分以上かけて取り払うが、ゲルに入りダワッスルの靴底を見ると、糞がついたままだった・・・

別にたいした事じゃないらしい。

確かにゲルの生活に糞は欠かせない。
食事を作る火の燃料は馬糞だし、冬は絨毯の下に糞を敷いて保温する。
子どもたちは山羊たちが変な方向に行くと糞を投げつけ軌道修正させるし、厳しい条件の中では番犬の食事が人糞だったりするらしい。

たしかにニムカはゲルの後ろで犬の近くに座り用を足していたがあれは犬の食事・・・・?(偶然目撃)

また新しい価値観を発見した私。


昼以降は基本的に初日と同じ生活、毎日が同じリズムだ。

2日目はコミュニケーションもスムーズに取れ、(子どもたちとは取りすぎて遊びに振り回されたが)馬も単独で乗ることが出来大満足。

結局夜は曇ってしまい、満面の星空は見えなかったが、全然気にならないくらいの貴重な経験が出来た。

確かにもっと奥地の遊牧民に比べて今回の家族は多少俗世間化しているかも知れないが、私にとっては十分に満足できる体験だった。
次回はもっと長い期間でお邪魔したい場所だ。


3日目になり別れが近づく。車が来て外に出るが、妹のダワッスルは外に見送りに来ない。ニムカが呼んでくるがムッとした顔をしている。確かに彼女たちにしてみれば日替わりで色々な外国人が来て、去っていく。我々も3日間でやっと仲良くなった途端にサヨナラだ。子どもたちにはちょっと辛い環境かも知れない。

がんばれ、ニムカ、ダワッスル!

別れ際、少し目が熱くなったが笑顔でサヨナラを言った。


また来よう。

そう誓いながらウランバートルへの帰路についた。

こんな経験を繰り返してたら世界一周どころか二周しなくてはいけなくなる・・・
贅沢な悩みを覚えながら、チベットを越えインドに向かうため再び中国を目指す。


 
2005年6月5日