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  in  インド
     
        ヒンドゥーの聖地バナーラス  
          
 
 
 
 
インドに入り最初の観光地でいきなりインド観光のハイライト、聖なる河ガンガーのほとりに広がるバナーラスに到着した。
ここは古くからヒンドゥーの聖地として栄え、ここに流れるガンジス川(ガンガー)自体が信仰の対象となっている。死後の肉体はこの川に流されると輪廻から解脱できるという教えから、多くの人が「死にに来る街」である。

また、ガンガーで沐浴することで過去の罪が清められることから、多くの「犯罪者が集まる街」でもある。
・・・ウソです。 でも軽犯罪者が多いことは確実だけどね。
本当は巡礼者が後を絶たず、その数は年間100万人を超えるという。

インドではバナーラス、昔の日本ではベナレス、正式にはワーラーナーシィー、地図表示はバラナシと呼ばれるらしいがどれでもいいらしい。
とにかく大事なのは、人々はここに死にに来てガンガーに流されるということなのだ!


ここの見所は何といってもガンガーのガート(沐浴場)と火葬場で焼かれる遺体見学だろう。
バラナシに着いた私は早速ガート(沐浴場)に足を向け、メインガートと呼ばれるダシャーシュワメード・ガートに行った。

ガートとは本来沐浴をするところなので階段が水面まで続いているが、熱心に沐浴をする人の横で普通に泳いでいたり、体を石鹸で洗っていたり、洗濯をしていたり、子どもがおしっこをしていたりする。
要するに何でもありな感じだ。
さらにその上流からはガンガーに撒かれた死者の灰が流れて来るし、川の中央を見ると重しをくくり付けられた水葬遺体が歓声と共に無造作に放り投げられている。

マジで何でもアリ。もう好きにしてくれ・・・

もう結構、おなか満腹です。本で読んではいたものの、実際目の当たりにするとやはり衝撃の光景。ガンガーで沐浴!何ていうのもネタとしてはいいけど、私はヒンドゥーじゃないのでガンガーが聖なる河である由来も知らないし、大腸菌もウヨウヨしてるしているので沐浴はせず。
沐浴しなかったからってヘタレじゃないやい!

そろそろホテルに戻ろうと帰路につくが、、ここはインド。そう簡単にガートから帰してはくれない。

「ハロー、マイフレンドジャパニー!船乗る〜?ヤスイよー!」
「マイフレンド!花買う!」
「ジャパニー!サリー見るだけ!なぜ見ない!」

・・・来たな悪人どもめ!しかし元旅行会社パッカーの私にとっては彼らも赤子同然。スルッっと彼らをかわし華麗にその場を立ち去る。

通りに出るとかわいい子どもが立っていた。絶好の被写体なのでカメラを向けると、
「バクシーシ!バクシーシ!」と連呼してきた。
バクシーシとは施しの事で、ヒンドゥーでは物乞いに施しを行うことで現世での徳を積むと、来世に良い人生が送れるらしい。バクシーシを要求する側から見れば、お前に徳を積むチャンスを与えてやるんだぞ!という位な感じに大きな態度で向かってくる。しかし異教徒からすれば何とも都合いい宗教解釈で正直いい迷惑だ。子どもに罪はないが、無視してかわし小道に入る。

宿まではあと100m。ホッと安堵感を感じていると、背後から細身の男が耳元でささやいてきた
「ハッパ買う〜?」
「ハシシ(大麻)買う〜?」
「何か買う〜〜?」

「イラネーっつってんだろ!ボケ!」

・・・・・ついつい声を荒らげてしまった。ちょっと反省しつつ宿へ帰還。



翌日、バラナシで最大の火葬場、マニカルニカー・ガートへ向かう。
焼かれている死体を見に行くという行為は倫理的に意見の分かれる所だが、少なくとも現地人は普通にその風景を見てるし、それがその土地の習慣なら私は問題ないと思う。異文化で日常に行われている事と我々の考える日常とのギャップは出来るだけ知っておきたいと思うし、やはり好奇心があるのが本音。それがいいか悪いかは体験した上で考えればよい。

秋以降の乾季ならばガンガーの川辺をガート沿いに歩いていけるのだが、今は雨季でガートが水没しているので街中の迷路のような小道を迷いながら向かわなければ行けない。案の定我々は迷ってしまった。

しかしその時、後ろから10人くらいの人だかりが小走りしなが迫ってきた。
よく見るときらびやかな棺おけを担ぎながらやってくるではないか!
恐らくこれから焼かれる死体だろう。
これはチャンスとばかりに彼らの後を付いていくと、彼らも道を数回間違えながら何とかガートに到着することができた。

ガートの奥からは煙が何本も上がっていた。
煙の手前には3階建ての建物があり焼き場はその奥にあるようで、左側には焼却用の薪が山積みになっていた。

私が薪を横目に焼き場に向かおうとすると、子どもが建物を指して「THIS WAY」と言いながら私を建物の中へ先導した。
勝手が分からない私はそのまま付いていき、子どもはそのまま2階に上がっていった。

建物の2階には入り口に鉄格子のようなものがあり、その奥にはガランとした何の無いフロアに現地人が30人くらい溜まっていた。
たしかにココからなら焼き場がよく見れそうだ。

だが、私が2階のフロアに足を一歩踏み入れた途端、私の「悪人レーダー」が反応した。
10人くらいの男が一斉に近寄ってきて3階へ誘導しだしたのだ。
「ハロー!THIS WAY 、 THIS  WAY !ノープロブレム!」

とっさに方向転換し、彼らの放つ怪しいオーラを避けるように建物を後にする。
建物を出ても2.3人の男が付いて来て自分がガイドすると言い張る。
絶対怪しいので無視すると、「お前何しに来たんだ!死体を見に来たんだろう。こっちだ!」と激しく勧誘をした。

私はその建物を諦めて奥の焼き場に向かおうとすると、
「オイ!そっちは入るな外国人はダメだ!!」と大声で怒鳴りだした。
ムカついたが勝手が分からないので一度手前の川辺に退散する。

そこではオレンジ色の衣に包まれた水葬遺体が今にも船に乗せられるところだった。

そこで自称サリー(現地女性の普段着)屋の主人だという男に会う。ちょっと怪しかったが、いい目をしていたし、自分はガイドじゃなくサリー屋なのでもし案内が気に入ったら帰りにサリー屋に寄ってくれればいい。と言って水葬に関しての簡単なガイドをしてくれた。

まぁサリー屋位ならさっきのウザい奴らよりはマシだと思い、ガイドを頼む訳ではないが横で話を聞く事にした。
水葬遺体がガンガーに投げ込まれた後、奥の焼き場に案内してもらう。

先ほど進入禁止と言われた所も普通に通過。ウザい奴らはまだ居たが、こっちにはガイドが付いているので何も言わない。
サリー屋に聞くと、あの建物はいつもトラブルが絶えないらしく、屋上にあがらせて無理やりガイドをして、ガイド料だの、貧困者の薪代を寄付してくれだのという手法で200〜1,000ルピー程度の金を巻き上げているらしい。
酷いときはビルの鉄格子に鍵をかけ金を払うまで外に出さないとか。
「悪人レーダー」もなかなか捨てたモンじゃない。

焼き場内は結構広く、一段上がったところに何体もの遺体が薪の上で無造作に焼かれており、かなりの熱気を感じた。100人位の現地人が一段下がった所でたむろっている。サリー屋は焼き場の職人と少し会話をした後、我々を焼き場の中へ案内してくれた。

小さな階段を上がると、目の前に二体と奥に五・六体の遺体が焼かれていた。ものすごい熱気を感じながら焼き場の隅に移動する。
私の1m前にはほぼ焼きあがった遺体の頭の部分があった。勿論黒焦げになっており性別も分からないが、焼きすぎたバーベキューのように焦げた皮膚から油のようなものが光っている。昔どこかで見たミイラのようだ。
脳の辺りから蒸気が出ていた。多分脳みそが煮えているんだろう。
船の上から見たガートの様子
思っていたより冷静に見ることが出来た。これも年の功なのだろうか。
暫くすると、こっちが風下になり、遺体の灰が飛んできたので焼き場の下へ移動。
サリー屋の案内で焼き場の下にある、彼曰く「5000年続く火葬場の種火」を見せてもらう。何年続いているかは別として貴重なものを見せてもらった。

見学が終わり、約束どおりサリー屋に行く。普通の店だ。コーラをご馳走になるが、あまり気に入ったサリーがなかったので、「帰っていい?」と聞くと、「OK、ノープロブレム。また友達紹介してね」という。

「えっ、いいの?まだ1ルピーも払って無いよ?」
サリー屋で買う買わないの格闘も覚悟していた私は肩透かしを喰らったが、言葉に甘え帰ることにする。

結局サリー屋の彼は我々に1時間の案内をし、サリー屋でコーラを7本おごり、何も買わない我々を笑顔で見送った。
親切な人も居るんだ♪

今日はインド人に落胆し、インド人を見直した1日になった。
船から見たガートその2

※火葬場は基本的に写真撮影禁止である。そこで写真と撮った撮らないで$100単位の罰金を払えというトラブルが絶えないと聞く。元々遺体の写真を撮ると輪廻転生を妨げるという迷信らしいが、最近はただ単にお金の問題の場合が多いようだ。実際に遺体の前で団体の記念撮影をしている親族グループもいた。カメラを持っていく人はご注意を。
ガンガーの夕焼け。宿の屋上より

 
2005年8月9日