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  in  中国(チベット)
     
      絶景マヒ!西チベット紀行(後半戦)  
          
 
 
 
 
第7日目 7月6日(木)   カイラス巡礼1日目

カイラス山(6656m)は仏教・ボン教・ヒンドゥー教の聖地でヒンドゥー教ではこの世で一番大きなリンガ(男性器の象徴)とされ、その雪解け水はガンガー(ガンジス川)にも流れ込む。誰もが一生に一度はこの聖地巡礼を志し、敬虔な信者はここを五体投地(体の全ての部分を大地に投げ出し祈りをする)しながら2〜3週間掛けてコルラするという。何とも気が遠くなる祈りだが中には13周する者もいるらしい・・・。仏教徒の端くれである我々も五体投地までは厳しいがせめて山を1周(52km)コルラし、聖地巡礼を果たそうとここまでやってきたのだ。ちなみにコルラとは「回る」という意味でチベット仏教では神聖なものの周りを時計回りに回るのが祈りのスタイルなのだ(ボン教は反時計回り)。
1回の五体投地で2m位ずつ進む。
朝8:30に宿を出発。ガイドブックでは初日泊まるカイラス北面まで6〜8時間位らしい。
町をでてイキナリ道に迷うが、はるか彼方に五体投地をする集団を見つけた。噂には聞いていたが、その苦行とは裏腹の晴れ晴れしい笑顔に身が引き締まる感じを覚える。彼らは今一生の内で一番晴々しい気持ちで居るに違いない。
暫くすると後ろから3匹の犬が後を付けて来た。チベットの犬は獰猛で有名なので追い払おうとするがどうも様子が違いおとなしい犬のようだ。カイラスには「コルラ犬」という道案内をしてくれる聖なる犬(実際にはご褒美のエサが目当て)がいる噂は聞いていたが、果たして本当だろうか?やがてその中の白い1匹がとうとう私の前を歩き道案内を始めた。我々は親しみをこめその犬を「ラパ」(ドライバーと同じ名前)と名づけ一緒にコルラすることにした。噂どおりこの犬は2日間で3回程迷いかけた道を修正してくれることになる。
初公開!コルラ犬ラパ(名前は暫定的)。
午前中はカイラスが周りの山に遮られ全く見えず、ひたすら川沿いの道を緩やかに上がっていく。10:30頃大粒の雨が降り出した。
私はレインコート&ザックカバーを装着するが、旅友のS君・N君はズブ濡れになった。備えあれば憂い無しとはこの事だ。
昼過ぎに雨が止んだので昼食を摂る。皆はラサで買ったウインナーなどを食べるが私はこの日の為に日本から4ヶ月ずっと持ち続けたカロリーメイト(高度の為、袋がパンパン!)を食べる。
午後はあまり目印がなく、どこまで歩いたか分からなくなるが、かなりハイペースで歩いたようで、14:00には目的地のディラプクゴンパ向かいの小屋に到着。ゴンパ(寺)は想像していたよりも簡素なモノでカイラス北面が半分見えなければ通り過ぎていただろう。そう。憧れのカイラス北面は山頂が曇っていて半分しか見えなかったのだ!
もう少しなのだが・・・残念。
まぁクヨクヨしても仕方なので小屋でベッドを確保(25元)し晴れるのを待つ事にする。
1時間くらいして4分の3までは見えてきたが、高山病になったようで全員頭が痛くなる。歩いていた時とは違い寒さを以上に感じ、あるだけの服を着込み昼寝をする。

この時、私が必殺武器として持ってきたつもりのノースフェイス製の保温タイツが、実は同じ色の単なるブリーフだった事に気付きさらに頭が痛くなり、友人に餞別で貰ったネックウォーマーのありがたみをヒシヒシと感じる。18:00頃一度起きてカップラーメンを食べ、ラサで買った頭痛薬を飲み再びダウン。
22:00頃寒さで寝付けない3人が今食べたい日本食の名前をを30分程言い合う。「いくら丼!」、「みそラーメン!」、「中トロ!」、その夜極寒の山小屋には寂しい日本人の叫び声がこだました・・・・

第8日目 7月7日(金)   カイラス巡礼2日目

昨日から14時間も寝てしまった。これから巡礼を計画する人は夕方くらいにココへ着く様調整する事をおススメする。暇だもの。
何とか頭痛の治まり、カイラス北面を見ながらの絶景野グソを試みる。まだ山頂付近は雲がかかっており、とうとう北面から山頂は見えずじまいだったが、自然の事なので仕方ない。
今日は一番の難所ドルマ・ラ(5,668mの峠)越えが待っているので気合を入れて9:30出発、コルラ犬ラパも我々の出発を待っていた。
5,000mを越えると多少息苦しくなり、20分毎に3分の休憩を入れ峠を目指す。途中、元鳥葬場と思われる一帯があり、無数の衣服や髪が散乱しており気持ちが悪い。

12:00頃思ったほどの苦も無くドルマ・ラに到着。無数のタルチョが風になびいており道を完全に塞いでおり、周囲には雪が積もっていた。ここは空気量が海抜0m地点の約半分しか無いので、さすがに息苦しさを感じる。
無数のタルチョが峠を埋める。

チベット仏教ではこの峠で人は一度死に、また生まれかわるという。私も新しい人生を祈ってタルチョ(祈りの5色旗)をくくり付け、ルンタ(護符)を大空に舞わせる。たしかルンタをばら撒くときに何かかけ声があったハズだけど、ん〜とりあえず・・・
「バルス!!!」

しまった、それは破滅の呪文だーーー!(天空の城ラピュタ参照)
まぁいいや、実は一度言ってみたかったんだよね、この言葉。あ〜気持ちよかった。

という訳でドルマ・ラをあとにし、急な下り坂を駆け下りる。途中で急坂にも関わらず五体投地で地道に進むおっさんに出会う。カメラを向けると誇らしげに笑顔をみせてくれた。
誇らしげにポーズをとる巡礼者。
13:20には峠を下りきりテントで昼食(ウインナー)を摂る、後は緩やかな下り道を川沿いにずっと歩く。

14:00頃、100m位前を歩いていたN君が3匹の犬とジャレていた、様に見えたが急に彼は川を横切りながら全力疾走を始めた。
どうやら襲われているようだ!
私は『シャッターチャンス!』と思いカメラを向けるが、彼は50m位走ったところで転んでしまい更に犬に囲まれてしまった!
これは冗談じゃすまない可能性があるので、私はカメラを自粛しN君の無事を祈った。
・・・・・幸い咬まれはしたが、足は無傷で穴が開いたのはGパンだけだった。きっとN君はドルマ・ラで「犬に足を咬まれませんように!」というお祈りをしたのだろう。良かったねN君、祈りが通じて。

そして30分後、川の外側を歩いていたS君が内側を歩いている私と合流したのだが、何故か右半身がずぶ濡れになっている。聞くと何でもない川を渡る際、最後の踏み石で足を滑らせ右半身だけ川に転落したらしい。自慢の一眼レフケースからも水が滴り落ちている。きっとS君はドルマ・ラで「1日でも早く風呂に入りたい!」というお祈りをしたのだろう。良かったねS君、祈りが通じて。

ちなみに私の祈りは「無事に世界一周を果たせますように!」だが、先の2人を見ると願いは叶いそうだ。安心安心。

そこからはひたすらに歩き、18:00頃眺めの良い渓谷を通過、ラパ犬とも記念写真を撮り残った食料を与えお別れをし、19:00に無事ホテル到着。52kmの道のりを約15時間でコルラした計算だ。
夕食は一昨日と同じ『山東水餃』に行ってたらふく中華を食べる。その日はコルラを達成した満足感で清々しく皆爆睡。


第9日目 7月8日(土)   タルチェン〜ツァンダ

7:30夜明けとともに起床。筋肉痛はあまり感じない、まだ私の体育会系筋肉は健在のようだ。9:15タルチェンをあとにする。今日は快晴で、昨日見えなかったカイラス山が南面だがくっきりとキレイに見える。

昼前にムンツェル(門士)で昼食を摂った後、13:00頃パルという小さな分岐点の町を通り過ぎるが、そこに居たヒッチハイクをする2人組みはよく見ると一昨日タルチェンであった日本人女性と韓国人女性の二人だった。完全にチベタンの様な服装なので間近まで分からなかったがどうやら昨日から丸二日間も車が捕まらないようで、かわいそうに強い日差しで鼻の頭がペロペロに剥けていた。行き先が一緒なのでラパチョラーに少しでも乗せてあげないか?と提案するが見つかった時の罰金と罰則があり生活に関わるのでNOだと言われる。残念だが彼女のたびの無事を祈り車を進める。(彼女は後日カトマンズで再会する。インド人の巡礼ツアーに拾われて、我々より10日遅れだが何とかヒッチで西チベットを抜けたようだ。)

パルからは大通りを離れ荒れた山道になる、地図で見るよりも随分時間がかかりそうだ。4時間くらい走りようやく70kmくらい進むとはるか彼方に『土林』と呼ばれるグランドキャニオンを思わせる大渓谷が見えてきた。ある者は「グランドキャニオンの100倍すごい」と絶賛するほどの美景だが、4,000mの地点でヒマラヤ山系をバックに見えるソレは確かにすばらしい感動を覚える眺望だ。
渓谷の溝が細かすぎて見え辛いのが残念!
10分に1回車を停め、写真を撮りまくる。暫くすると彼方に見えてた大渓谷の真ん中を突っ切るように道は伸びていた。どこを撮っても絶景なので画像の選定が大変そうだ。
18:00頃大きな岩山の前に突然ポツンと町が現れた。グゲに一番近いツァンダの町だ。
その町はまるで「バックトゥーザフューチャーPARTU」の映画セットを作ったように不自然に建っていた。
どデカイ岩山の前に突然舗装された町並みが300m程現れる。
きっとグゲ遺跡世界遺産化を目指した中国の観光地化計画だろう。インド国境に近い5,000m級の山々に囲まれた超々僻地のそこには、なんとインターネットカフェまであった!「中国もやるときゃやるなー。」と感心する。
ホテルにチェクインし、早速ネット屋を利用しようとするが、現地人6元(1時間)のところを『お前らは30元だ』と言われブチ切れる。いくらなんでも5倍はないぞ!口論になり隣の公安に行くフリをなどしたが、売り手市場なので結局利用をやめる事にした。
町から2分の崖がすでに大絶景!   町外れにあるチョルティン群
大渓谷を作ったサトレジ川沿いで大絶景の写真を撮り、期待せずに夕食を食べに行く。一番看板のキレイな店で中華料理を食べるが、何と、中国を旅してきて一番美味しい味付けに出逢ってしまった!!店の名は「紅辣椒川菜店」、主人の愛想も好感が持てる。こんな最果ての地で理想の味付けに出逢えるとは・・・中国、侮れず。


第10日目 7月9日(日)   ツァンダ〜グゲ遺跡〜ムンツェル

快晴。今日はいよいよグゲ遺跡観光!実は個人的にはカイラスよりもこっちがメインなのである。遺跡は町から13km約45分のところにある。
今日も一面に広がる大渓谷。
途中も『土林』の中を進み、まるで理想の西部劇映画を再現したような景色が続く。既に「絶景マヒ状態」の我々だが、ココの絶景には更に感動する事になる。9:40遺跡到着、モンサンミッシェルを思わせるバランスの良い山型の宮殿が見えてきた。早速入場料105元を払い中へ入る、運の良い事に他に観光客が3人のみだったので1グループになり係員が英語のガイドをしてくれるようだ。英語で案内できるのはひとりだけらしい。
下からの眺めも圧巻。途中の眺めも圧巻。
下層部のラカンカルポに入ると中国の文革運動によって破壊された仏像が当時のまま安置されてた。弾痕も多く残っており、当時の雰囲気が伝わってくると同時に、漢民族はよくこんな僻地までわざわざ仏像を壊しにやってきたなと変な感心を覚える。
壊れたままの仏像が展示されている。
階段・トンネルを潜り宮殿の頂上へ登った。北にはグランドキャニオン以上の大渓谷、南には万年雪が積もるヒマラヤ山脈、そしてここは標高約4,000m地点にある500年前に滅びた王国宮殿跡。私は今何と素晴らしい所に居るのだろうと改めて感動する。
何度も繰り返しますが、絶景です!
その感動は今まで見てきたマチュピチュ遺跡やアンコールワットをはるかに超えるものだった。どれも皆素晴らしいのだが、冷静に考えるとその差は『観光客が居ない』ことだろう。カンボジアのベンメリア遺跡がそうであったように、ここはある種「独占感」のようなものを感じる事ができる場所だ。
他に客が居ない事でしばらく衛兵気分になったり、王様気分になったりもできる。この日午前中の入場者は我々4人を含め15人位だろう。
来て良かった!と心底思った。9日間風呂に入らず来た甲斐があった!
衛兵気分と祈る王様気分中。
時間を忘れシャッターを切るが12:20惜しみつつグゲを後にする。
途中ツァンダの町で昼食(昨日と同じ店)を摂り行程を折り返す。昨日と同じ道を折り返すが、みんなグゲに満足しているようで話も弾む。まだ三大聖地の内二つが残っているのだがぶっちゃけもう満腹、お腹一杯状態である。20:15ムンツェル到着。


第11日目 7月10日(月)   ムンツェル〜バルヤン

8:30出発。わずか20分で三大聖地の一つ「ティルタプリ」に到着。ここは霊験あらかたな温泉が湧いているが、温泉王国日本人に言わせればただの温泉だった。源泉は100℃近く入浴用ではないので皆水で薄めて足などを清めていた。30分で早々に引き上げる。
暇だったので逆光写真を1枚・・・
次に向かったのはマナサロワール湖。あの「ガンジー」の遺灰も撒かれたという聖湖である。湖の西側にチゥゴンパという寺があるのでそこに行く事になっていた。しかし気付くとゴンパに行く為に曲がる道を10km程過ぎてしまっていた!
すぐに車を停めて何故右に曲がらないの?と聞くと、ラパチョラーは「マナサロワールは日程に入って無いよー」という。そんなはずは無いのでお互いの日程表を確認すると、出発前に旅行会社の担当者に英語⇒チベット語へ翻訳してもらった行程表には我々のものに記載されている「マナサロワール」の場所が空白になっていた!
ありゃー、テンジン(旅行会社スタッフ)のミスか・・・
悪意は無いようだし我々もそれほどチゥゴンパに固執はしていないし、雨も降ってきたのでとりあえず東岸でいいからちょっと寄ってよ〜という妥協案を出す。湖東岸にもセラルンゴンパという所があるのだが、入場料が50元かかるので湖の写真を数枚撮っただけで引き上げる。
一応証拠写真で。
そこへ行った多くの旅行者が言うように、マナサロワールは遠くから眺めた方が美しいと思った。滞在時間ものの5分、すでに気分は「GOTOラサ!」である。
後はひたすら車を飛ばし、20:00バルヤン到着。通常ならあと3日かけてラサに到着するのだが、一日でも早く帰りたい(シャワー浴びたい)我々はラパチョラーに明日ラツェまで飛ばしてくれー!と懇願。別のツアードライバーには「新型ランクルでもラツェまでは難しいよ、通常の2日分だからね」と言われるが、チップ代から100元を前倒しで握らせ「出来る範囲でヨロシク!」とお願いして就寝。


第12日目 7月11日(火)   バルヤン〜ラツェ

今日は大移動の1日なのでラパチョラーが寝坊しないよう7:30に彼を起こす。「ラツェまでは無理だよー」と言いながら8:00出発。
途中サガという町の手前で、世界一周中のチャリダーKさんと遭遇。彼はアラスカから5年間掛けてチベットまでやってきた『もののふ』だ。自転車の後ろに出発から付けているという鯉のぼりがボロボロになりながら元気に旗めいていた。がんばれよー!
Kさんとはカトマンズで再会を果たす。
14:00に今日泊まる予定だったサガに到着、いいペースだ。いける所まで行ってもらう事にする。サガ外れの検問は噂どおり厳しく、15分くらい時間がかかった。ココからの道は初めて通る道で絶景だったが、今までがすごすぎたので普通に通り過ぎる。19:00頃谷間で大型トラックがパンクで道を塞いでいて30分立ち往生。ここで体力を回復したのか、突然ラパチョラーが「ラツェに行くなら夕飯抜きで23:00到着だぜ」と言い出した。勿論OKだ。
夕日が沈み、ヘッドライトだけが視界を映し出す暗闇をひたすらに走る。途中トイレ休憩時の星空が普通に凄くキレイで印象的だった。
23:00ラツェの街灯りがみえると車内で大拍手が起こった。悪路を15時間500km以上のの大移動だ。お疲れ、ラパチョラー。


第13日目 7月12日(水)   ラツェ〜ラサ

6:40起床。もう気分はラサ(シャワー)だが気は抜けない。一雨降れば状況は一変してしまうのがチベットだ。8:10ホテル出発、と思ったら近くのレストランで朝食を食べるという。そんな余裕で大丈夫なの?8:45仕切り直しで再出発。最初は未舗装路だが、シガツェの手前80km位からはほとんど(90%以上)快適な舗装道路が続いた。
4,000mの地にも普通に花畑がある。
11:30急に車を停めたので故障か?と思ったら、ラパチョラーはおもむろに砂埃で汚れたダッシュボードを掃除しだした。どうやらココから先はもう砂が入らない区間らしい。
シガツェで昼食を摂った後もガンガン飛ばす。シガツェ〜ラサ間の道路大工事は95%完成しているようで、途中の橋付近を1箇所迂回した他は快適な舗装道路が続いた。
キレイな舗装道路もお構いナシに羊の群れ。
18:0012日振りにラサの看板をくぐる。予定より4日も早い帰還だ。18:30キレーホテルに到着し、残金を払いツアー終了。

夕食は久しぶりにラサビールで乾杯をした。みんなが一致した感想は「この内容でツアー代ひとり45,000円は安い!」だった。
恐らく今回の経験した感動を消化するのにはだいぶ時間がかかるだろう。ただ確信できる事は、しばらく絶景を見て感動を覚える事はまず不可能!ということだ。

ツアーが成功するには、天気・健康・ドライバー・ツアーメイトなど色々必要な条件があるが、今回はそれが全て揃っていた気がする。何ともラッキーだった。13日間私にずっと助手席(後部は狭いので)を譲ってくれたS君・N君・T君ありがとう!そしてドライバーのラパさんありがとう!これほど気持ちよく旅をさせてくれる人は珍しい(特に中国で)。今後行かれる方は是非ラパさん指定でどうぞ!

いつも赤い帽子を被っているのがラパチョラー(ラパ兄貴)です。



 
2005年7月14日